I am leaving without saying good bye.

夕方ひとり黙々と仕事をこなしていると、Mr Crespondence.といたずらっぽく声をかけられる。ああ、もう行ってしまうのか?そうか.『で、あなたはこれからも連絡してくれるんでしょうね?』やはり、私の性格は見透かされている。実は、連絡をしないでおこうかなと心のどこかで少し思っている。でもするのがいいのは、分かっているので、私が話したくなったらいつでもするよ、と言っておく。『Milanoにも来てよね。』そう、それももちろん行く。いつか、彼女がいままで感じたことのない不思議な気持ちだと、言っていたが、それは私が感じているのと同じものだろうか。彼女は泣き笑いのような、愛想笑いのような、あまり見たことのない顔で話している。Babelの塔がきっかけで世界が異なる言語で分断されたように、今私も彼女も危うくつながっていながら、最終的には己も相手の気持ちも量れない。特に私は。Who knows?と言った彼女の言葉が象徴しているようだ。
   仕分け理由を見る限り、一理ところもある。世界に魅力ある効率的な政策を望んでいる意思も垣間見える。しかし、問題は、旧体勢をどう改革して政策にするのか方向性が見当たらないことだ。削減や廃止で、その後の政策をどうするか、仕分けする前に事前に調査し話し合っておくべきものだろう。この点は、今までの計画性がない従来の政策決定と本質的に変わっていない。
   科学政策にアメリカや西欧のシステムを取り入れても日本人の性格上、破綻するのは目に見えている(ゆとり教育政策のまずさと似ているか。)。それよりも、独自の政策を打ち立て、世界に発信できるものにしなければいけないのではないかと思う。そういう考えのもとに仕分けしたのならいいが。Caroliに言わせると、まあ、いずれ変わるわよ、どの世界でもそうよ、とのこと。君が言うならうまく行きそうに聞こえるから、まいってしまう。とまあ、何かいい方向に改革してくれると期待したい。意見はいろいろあれど、生き抜く、今はそれしかない。