午後の静寂

同僚のジャーク君は、ここの春の日差しは眩しすぎてキライだと言う。私はこれをキリストの空と勝手に名付けている。光や空気がキリストあるいは西洋の原点を直感させる。人を厳かな思索へと誘う透明な光が、この時期、身体に浸透してくるのだ。
   アイスランドの火山が噴火して飛行機が飛ばなくなったせいか、素晴らしい静寂が午後の青空に充ちている。歩きながら、祖母が今日亡くなったことを反芻している。歳とともに自分を知る人が失われながら、自分を知る人が増えての繰り返しをしている。ちゃんと生きよう。