日本的な絵その2

職場の報告会を切り抜け、とりあえず公の発表の機会はしばらくないので仕事に集中できる。思うようにいかなかったり、別の懸案を仕上げたりと色々忙しくなるのだが、無駄な事務処理や発表で時間を潰されるよりはるかにマシだ。同時に3つの仕事を独りでやるとさすがに穴があって質問攻めにあってしまう。まあ、Crespondenceとしてこのくらいの事やれなくてどうしますか、という意気込みは伝わったろう。今日はストレスの溜まる発表仕事から解放されたので、気になっていた私の雑念を書きなぐってみる(晩秋並みに寒い今夏に腹立たしいためもある。)。
   最近理解できないものにwanピースとかいうmangaが大人にも大人気だと言う現象がある。理解できない理由は2つある。絵のクオリティーとストーリーの単純さだ。友情がメインテーマのようだが、あの絵の質、キャラ作りと話の単純さに大人が満足するのが想像できない。作者は、あの1つの作品だけでヒットを出し、未だ他の作品を書くこと無く連載を延々続けているようだが、作者が別の作品を描いた時の将来性は疑問である。芸術性を求めいない場合の大衆心理からすれば、分かりやすい好い作品と言うことなのだろう。haruki murakamiやkeigo amazunoの小説の人気と似た現象であると私は疑っている。彼らの描くストーリーや人物も単純普遍なモチーフをちりばめており、ドラマ性や芸術性は少なくともあまり感じない(好きではないから、パラ読みだが。。)。
   一方最近anisongはある意味、もう少し評価されてもいいと私は感じている。生半可なバンドや歌手よりはるかにメッセージ性と情緒がある(芸術性については、一部ある。)。まあ、公には価値が認められていないのだろうが、animeと連動していないことを知らない条件で聞けば、偏見無く好い曲(kami曲というらしいが。)と判断する場合が多いだろう。逆もまたしかりで、巷でいいと思われている種々の曲も評価や人気作りの偏見で成り立って、マッサラの条件で聞けば価値をはかりかねる場合もあろう。それでも、時代を越えて受け継がれれば、芸術というものになりうる。
   今日は戯れ言を書いて、あと10年後にこれをみたら愚かな奴だったとなる。そんなものが、人間の言う(危うい)価値か。